無遅刻無欠席で学校に行って――‥
眠たい授業を受けて――…
女友達と楽しく喋って―――…
家に帰る。
それがあたしの生活。
何年も前から変わっていない。
同じことを繰り返し、それをまた繰り返す。
ただそれだけ。
不満はなかった。
そりゃあ、ちょっと物足りないなぁ…と思うこともあったけど、それなりに楽しい生活を送ってたから。
だから周りに、時間に、流されるまま生きてきたんだ。
そんな風に決め付けていた。
そんな風に諦めていたんだと思う。
あたしが生きていく世界はここだけなのだと。
H×H
郵便物を取るためにポストの鍵を開ける。
右に1回。
左に2回。
カチャリと鍵が外れる音がして出前や変な勧誘のチラシ、普通の郵便物はがきが目に付いた。
それらを無造作に取り出す。
「?」
閉めようと思いポストをもう一度覗き込むと、中に黒い封筒が残っている事に気付いた。
黒だったから見え辛かったんだろうと深くは考えず、他の郵便物と一緒にカバンに放り込む。
ポストを閉め、携帯を取り出しながらエレベーターが来るのを待った。
「ただいま―――…」
返事は返ってこない。
親は共働きで兄は受験生だから当たり前。
それでもなんとなく言ってしまうのは――‥習慣、だからだろう。
暖かく迎えてくれる人がいないことはずいぶん悲しいことだけれど、もうすっかり慣れてしまった。
今では誰もいない方が気楽でいいと思うほどに…。
鞄を居間に置き、制服を脱ぐ。
どうせ洗濯するからと、部活で使っていたジャージを着た。
しばらくぼーっとしていたけれど、制服がしわにならないように自分の部屋へ掛けに行った。
「はぁ――‥」
何もする気が起きなくてソファーに身を沈める。
腕で目を覆い、深く息を吸い込んだ。
今日は何があったっけ?
通勤ラッシュの電車で学校に行って授業を受けて――‥
くだらない話に花を咲かせ――‥
部活やって、チームメイトと騒いで帰宅。
いつも通り。
異常なし。
違ったことといえば――‥珍しく恋話をした時に、矛先があたしに向いた事くらいだ。
「は誰か好きな人いないの??」
あの質問にはなんて答えたっけ?
‥確か、その手のことにはまったく興味がないって言った‥はず。
みんなつまらなさそうにぶうたれてたなぁ…。
好きな人、か…――
いないわけじゃない。
でも、彼は現実に存在しない。
好きな人は漫画の中の登場人物なのだから。
容姿がよくて、人柄も魅力的。
一癖も二癖もあるけれど、そこにまた惹かれてしまう。
ここには存在しない、完璧な人。
もし、空想の人物に恋をしているなんて言ったら軽蔑されるに決まってる。
そしたら、もうみんなで楽しくお喋りすることも、遊びに行くことも出来なくなってしまう。
「それだけはまじ勘弁…」
好きなものは好きだからしょうがない。
でも、めりはりはきちんとつけなくちゃいけない。
横に置きっぱなしだったカバンに手を突っ込んで、先ほどの郵便物を取り出す。
出前や変な勧誘のチラシは丸めてごみ箱へシュート。
残ったはがきと黒い封筒に目をやった。
はがきは中学生の頃の友だちから。
最近あった出来事とか、昔の思い出話なんかが短めに綴られている。
メールでやりとりをすればいいのに頑なに手紙がいいと言った友達…。
ちょっと男っぽい彼女の顔が目に浮かぶ。
自然と、笑みが零れた。
「相変わらず‥か」
中学では何時でも何処でも四六時中一緒にいた。
登下校も、休み時間も、授業中も、給食の時だって…。
そんな彼女が未だにあたしの所に手紙を送って来てくれている事が嬉しくて、顔が緩みっぱなしだ。
…けれど、1つだけ気になる点があった。
手紙の中に彼女の高校での出来事が一切書かれていないことだ。
もう高校に入学してからずいぶん経つのに、たった1度も高校の話は出てきていない。
うまくやっているのか心配だなぁ…――
「…今度遊ぶ時に聞こう」
あまり深く考えずに、残った黒い封筒に目を移した。
宛名には様と銀のインクで書かれている。
裏返して差出人を確認するけれども、名前は書かれていない。
怪しいし、胡散臭かったのでゴミ箱に捨てた。
でもその後、溢れそうなゴミの上にちょこんと乗った黒い封筒はなぜか無性に気になった。
テレビを見てる時も‥
友達と電話している時も…
お風呂に入っている時にまで。
結局、あたしは寝る前になって封筒に手をつけた。
特にすることもなかったし、手紙だから――‥開けても支障はない、はず。という理由で。
立ち上がって机の上からはさみを手に取る。
オレンジ色だった空は黒く染まり、星が輝いていた。
中身を切らないように注意をしながら切り込みを入れ、中を覗き込んだ。
「っ…ここは?」
目を覚ますと、そこはいつものベッドの上じゃなかった。
どうやら気を失っていたらしい。
そこには灰色の空間が広がっていた。
「本日は我が社『W・G』をご利用いただき誠に有難う御座います」
ただ一箇所。
このへんてこなウサギのいる場所を除けば‥。
ウサギが喋るという摩訶不思議な光景を目にして、最初は夢の中なんだろうと思った。
でも、あまりにもリアルなので、念のために頬をつねる。
…痛い。
とりあえずこれは夢ではない。
あたしはそう理解した。
「…えっと、利用した覚えないんですけど?」
「我が社『W・G』はWander Gateの略称。不思議な門をくぐって『世界旅行』へ出発していただけます。
『世界旅行』とはつまり、異世界への旅行をお楽しみいただけるツアーでございます。
様はこちらのリストに載っておりますので‥無料でご利用になれます」
「異世界…それって漫画の世界にも行けるの?」
「えぇ、もちろん」
なんだかよくわからないけれど、異世界へ行けるらしい‥。
しかも無料で。
結局ずっとこの空間にいても仕方ないので、『世界旅行』とやらに参加してみることにした。
たとえこれが(頬をつねって痛い変な)夢だったとしたらそれまでだし…。
それに、行けるものなら行ってみたいと思ったから。
純粋に、願った。
「それではこの紙に必要事項を記入してください」
どこからともなく現れたのはあたしの住所、氏名、電話番号、経歴の既に書かれてある紙。
なんで記入されているのか不思議だったけど、この際気にしないことにした。
この空間にあたしがいること自体不思議なことだし、いちいち尋ねていたらきりがないから。
…別に答えを知ったところで何も変わんないし?
「これにより様のステータス値が決定されますので、慎重にお願いします」
「…了解」
個人情報の書いてあった面の裏側には―――
1.旅行する世界の名前を書いてください。
2.現在のあなたに関してのデータ(身長・体重・顔など)を変更しますか?
3.2で変更すると回答した方にお聞きします。何処をどのように変更しますか?
4.旅行する世界によっては命の危機に晒される場合があります。そこで、その世界に合った特殊能力を持つことが可能です。特殊能力が必要ですか?
5.4で特殊能力が必要だと回答した方にお聞きします。どのような特殊能力を希望しますか?具体的にお答えください。
※注意※異世界に行くということは、現実世界とは異なる世界へ行っ
て“生きる”という意味です。
あちらの世界で何らかの不都合が生じても、当社は一切責任を取りま
せんのでご了承ください。
―――と書かれていた。
1番の欄を埋め、2番の設問に目をやる。
自分の身体に関してのデータを変更するかどうかなんて、そんなの決まってる。
“変更を希望しない”が答えだ。
せっかくお母さんとお父さんからもらった身体をいじることはしたくないし…。
(出来ればニキビは消したいけど‥いっか)なので3番の設問は飛ばした。
4番で言っている特殊能力って――‥あたしが選んだ世界で言うとアレだよね?
旅行先に選んだ世界は結構物騒な所で、アレがないとすぐに死んでしまうと思う。
あたしは身体能力が高いわけではないからなおさら。
4番に“必要”と大きく記入し、5番の記入欄にさらに大きく一文字目立つように書いた。
…オーラの量が多いと嬉しいです!と小さめに添えておいた。
だってその後のインクの薄い※の所に、死んでも責任はとらないということをほのめかす文が書かれていたから。
それは脅しでもあり、忠告でもあるのかもしれないけれど――‥ やっぱり死にたくないし。
…よし、身体強化ってのも書いておこう。
「…終わったんですけど?」
「それではこちらにお出しください」
紙を手渡す。
次の瞬間、ウサギはキーボードの上を目にも止まらぬ早さで飛び交った。
もはやウサギの動きではない。
‥ウサギなのに、怖い。
ピピ。。手続キ完了致シ
マシタ。。。
「手続きは以上です。この世界は少し重力加速度が違うようですから、注意したほうがよろしいかと思います。
準備が出来ましたら、後ろにある扉を開いて行ってください」
「わ、わかりました。ご親切にどーも」
重力加速度って“メートル毎秒毎秒”って呪文みたいなやつだよね?
あれが違うってことはだいぶ生活が変わってくる。
身体が軽くなる分にはいいけれど、重くなったら…なんて考えたくもない。
チリン‥――チリン‥――
後ろのほうで鈴が鳴った。
振り返ると、さっきまでなにもなかったところに扉が存在していた。
大理石でできているのか、とても丈夫そうだ。
上の看板にはご丁寧に“HUNTER×HUNTER”と彫られている。
これで【扉を開いたら夢でした!】なんてオチだったら嫌だなァ…。
馬鹿げてる。
と自嘲気味に笑った。
ゆっくりと扉を押し開け、中に一歩踏み出す。
扉の向こうにあたしの望む世界が広がっていることを信じて――…
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